シャフト株式会社では、ユーザーの皆様に諸々の有益なお知らせをするために「シャフト通信」を発行しております。今回はその2回目なのですが、表紙になっているコッペパンをカジッている5歳の少年は、私(シャフト株式会社いつも元気な工房長70歳)なのです。
今から65年前の昭和30年頃、太平洋戦争終戦の10年後の写真です。当然ながらモノクロです。場所は東京都武蔵野市境町。背景に見える茶色い電車は中央線です。写真右に進んでいますが、右方向は高尾方面。左方向が新宿です。電車の横を割烹着を来た女性が高尾方面に歩いていますが、これは武蔵境駅前の商店街方向に向かって買い物に行くところなのです。電車が走行している線路脇を歩くなんてことは、会社通勤も含めて誰でもが普通の日常だったのです。私は3歳まで出生地である港区麻布に住んでいましたが、この時期は、祖父(母方の父親で大きな石材店を経営していました)のデッカイ家に出戻りの母親と一緒に同居させてもらっていました。幼稚園は田無市の翼陰幼稚園に武蔵境駅から普通のバスで通っていました。母親は日活の撮影所勤務でしたので、この頃からバスも食事も1人で動いていました。強くなります。
この写真は、私と母親(2021/07/01現在94歳になります)です。背景は吉祥寺の今は伊勢丹になってますが、当時は母親の姉の家(割烹料理店)で撮影しました。武蔵境から2駅なのでよく通っていました。
この写真は家内と家内の母親(2021/07/01現在94歳)の高校生時代の写真です。背景は家内の実家(現在の東京都小平市)です。家内は小平から、そして私は武蔵境から、それぞれたまたま同じ私学の高等学校に進み(ボクが3年生の時に家内は1年生)、出会いがあったのですね。
そして、私が道路建設業に従事していた25歳の頃、銀行に勤務していた23歳の家内と再度の出会いがあり、結婚となりました。コレが現在の私(70歳)と家内(69歳)と孫(11歳)です。人生長いようで短くてそして不思議ですね。
これからも色々と発信致します。シャフト通信どうぞよろしくお願い申し上げます。